今起こっていること

マイスペースの転落とfacebookの成長。
この2つの違いからソーシャルサービス、メディアの成功に不可欠な要素がみえてくる。
一時は有力なソーシャルサービスとして、その名をとどろかせたマイスペースが従業員を半分の500人まで削減するそうだ。
2006~7年当時はミュージシャンや若年層がこぞって利用し、ごちゃごちゃしたデザインでユーザー自身が個性をアピールしまくっていた。
あの頃はfacebookなんてまったくの無名(日本国内で)だった。
それが今では世界を席巻しようとしている。
その勢いはgoogleを凌駕するところまでいきつつある。

ソーシャルとはもう一つの社会

マイスペースとfacebookの明暗をわけたものは何か。
それは正確な情報、信憑性による秩序の維持と実名制がもたらす社会性である。
一言で言えば、マイスペースは実体のないアカウント(ネカマ、作って放置、もしくはイタズラ目的、スパムなど)との戦いに敗れた。
バーチャルな空間での不正確で、実社会とかけはなれた偽り行為の横行をとめる事ができず、むしろそれを良しとした戦略に誤りがあった。
このことは「フェイスブック 若き天才の野望 日経BP社 」に書かれていたことで、僕の分析でもサービス批評でもなんでもない。
ただの本の内容紹介だが、ここにソーシャルサービス、メディアの本質があるように思う。
読んで字のごとく【ソーシャル】なのだ。
つまりネット上に出現したもう一つの社会である。

アカウントのとサービスの質

アカウントは人格だ。
ユーザー認証のためだけのものではなく、サービス上での振る舞い、発言がすべて個人のアイデンティティに帰属する。
言い換えればアカウントの質はそのままサービスの質を表す。
facebookはこの点を実名制の導入によって実現した。
個人が明らかになることで一定の節度、秩序が維持されたのである。
いい加減な態度は自らの評判を落とすことになりかねない。
facebookユーザーはそのことをよく理解している。
なぜならそこには同じように人格を持った他者の目があるからだ。
他者の目が機能していないソーシャルサービス、メディアはいずれ消滅する。
このことは、ウィキペディアの編集者が減少している(ような気がする)googleがスパムサイトの駆逐にやっきになっていることからも明らかだ。
果たしてTwitterは突発的なデマの広がりに対応していけるのだろうか。
ネット上に保安官や警察がいないのならば、誰がサービスの質を保つのか。

ソーシャルサービスの成功のために

ソーシャル化したサービスを成功させるためには、ユーザー自身による監視、品位の自覚が必要だ。
それらを仕組みとしてサービスにうまく組み込むことができるかどうか。
またこれは言うまでもないことだが、ハーバードというエリート集団から始まったという、うかつには踏み込みがたいインテリ、権威主義的な素地があったこともサービス内で自制を助長した。
自分よりも賢い人間ばかりの中で、どこまで無知や馬鹿をさらすことができるというのか。
質の高い言動が求められるのは必然といえる。
facebookの成功は起こるべくして起こったものではなく、ソーシャルサービス、メディアの本質を愚直に体現したことによるものだ。
社会インフラ級のソーシャルサービスを目指すならば、アカウントの質や流言蜚語をも視野に入れた設計をおこなわなくてはならない。